カラスの独り言

一人の勇者の勝ち方

 
 不正な手段で勝つ。相手の弱点を突いて勝つ。時間切れを待って勝つ。財力知力で勝つ方法。
、努力不足で負ける。不正して負ける。財力知力不足で負ける。
 いろいろな勝ち方負け方があるが、正しい勝ち方もあると思う。
 表面上は勝ち負けの形が出るが。正々堂々とそのゲームの神や仏のルールに共に従って努力し勝利することだ。
 そこには敵味方ではなく先輩と後輩や兄弟としての形がある。そこでは敗北感や優越感ではない互いの努力を認めあえる世界が出来てくる。
 ゲームが終わればいわゆる敵味方の無いノーサイドに終わることになる。そこには人生の勝者も敗者もない全てが一人の勇者としての世界が自ずから出来上がってくるのであろうと思うのです。
 人生の勝者敗者と言うことも、結局は人生の勝敗を競う事をきっかけとして、みんなが自然にこのルールに従ってそれぞれの勇者になってゆくことではなかったのか思うのです。

なんまんだぶつ
なんまんだ

一人の勇者の勝ち方

 
 不正な手段で勝つ。相手の弱点を突いて勝つ。時間切れを待って勝つ。財力知力で勝つ方法。
、努力不足で負ける。不正して負ける。財力知力不足で負ける。
 いろいろな勝ち方負け方があるが、正しい勝ち方もあると思う。
 表面上は勝ち負けの形が出るが。正々堂々とそのゲームの神や仏のルールに共に従って努力し勝利することだ。
 そこには敵味方ではなく先輩と後輩や兄弟としての形がある。そこでは敗北感や優越感ではない互いの努力を認めあえる世界が出来てくる。
 ゲームが終わればいわゆる敵味方の無いノーサイドに終わることになる。そこには人生の勝者も敗者もない全てが一人の勇者としての世界が自ずから出来上がってくるのであろうと思うのです。
 人生の勝者敗者と言うことも、結局は人生の勝敗を競う事をきっかけとして、みんなが自然にこのルールに従ってそれぞれの勇者になってゆくことではなかったのか思うのです。

なんまんだぶつ
なんまんだ

小さなアミダ様

 大きな柿を六等分にしたら小さくなった。
仏様も文献読んで資料を調べて、古今の諸講師の所説を読んで書評まで切り刻んで理解する。こっちの断面にはこんな理解が書いてある。あっちにはそんな意見もあったのか。そんなこんなで、最初、見た仏典原典の言葉が霞んでくるのはどうした事か。
理解が深まり真理に充分接近したつものだけれど、それ以上に私の個人的な問いの疑問が深まることなく、アー分かった分かったで日が暮れる。
 最初の立派なことが勉強すればするほど、研究すればするほど原典がひどく見えてきてダメになる。
なぜだろう。理解し分析して研究するほどアミダ様のことがより深く理解でき信じられるようになれるはずなのに、まったく逆にこんなものか、とだんだん小さく見えてくるのはどうしたことなのか。
まるごと、そのまま見た時の感動のまま受け取れる感じが、立派だなと思ったまんまでいてほしかった。切り刻むほどアミダ様が小さく見えてくるのはなぜなんだ。私の方は丸ごとそのまま信じられ丸ごと愛され敬せられていたのにな。
ナンマンダブツ
ナンマンダ

―愚と学問―

 へたに学問すれば理性の闇と分別智の中に囚われて真の知性や真理の神や仏に出会えない
 文章博士や科学者の偉い先生になるほど陥る方法論の闇のことだろう。
 いくらその道の権威になっても、その道の先にいる神様や仏の許可なく書いた、発見した真理のカケラでも、ノーベル賞をもらっても、それは世界の営みの一つであって神や仏からもらった賞ではないな。
 いくら人類の英知の結晶でも小学生のリレー競争で一等賞を取ったようなもの。小林秀雄じゃないけれど、謙虚になって古代人の身振り手振り口振りを今のこの私の目に見えるようにならないと、人間の根本的な愚の思想に帰ったり、古代の神様仏様に直接出会うなりしないと、分別智と現代のこの理性の闇から到底出られない。ナンマンダブツ、ナンマンダ

本来が輝くとき

 18願には人間の根本的な判断をする理性の彷徨と根本意識を変える助かる本能と助からぬ煩悩がある。この本能を取ってしまう、あるいは消滅させてしまえば完全な佛意識しか人間には残らないが、これはきっと清浄意識と深い関係があり、これは仏に許された用きで、それ自体に罪はないというのだからであろう。
 だから煩悩意識の根本にアミダ意識または清浄意欲が理性自我意識の底へ入り込み、本来の根底的存在の意識水準として入れ替わった途端に真実世界への歩みが本能もろとも煩悩の彷徨も浄土へと歩み始めるのであろう。
 法蔵自体の願意識の中にもこの点を十分考慮した考えがあっての救済であろうと思います。

なんまんだぶつ
なんまんだ

十八願文について

 助ける者も助けない者もいると言ったり
願文が矛盾している。法蔵はどうしてそんな矛盾した言葉を吐いたのか。
 なぜ絶対許されないものがかくも安易に許され、救われていくのか。
 この願文だけでは理解できないが。
 但し親鸞は誹謗の咎を知らせんがためとあるが以下
「謗法・闡提、回心すればみな往く」(信巻 P.303)
【左訓】「法をそしる仏のたねをやくものも、そのこころをひるがへして本願をたのめば、みな往生するなり」 (口伝鈔 P.909)

「謗法闡提回心皆往」(法事讃・上)
 「謗法・闡提、回心すればみな往く」(信巻訓) (御文章 P.1171)
 されば、本願念仏によって回心したものでなければこの矛盾の本質を信じ認識できないことになる。唯除の機であることは救われたら救いの中に納められはするが、それが消えないままに浄土往生が叶う大般涅槃往生が可能であるという事になる。煩悩を持ったままの救いが本願によって証明されたことになる。煩悩本能を持っている完全な救いへの途中を正定聚不退転とアミダが吾らに下駄を預けたのである。
 アミダが吾らの毒を飲んで我らを救ったのである。
 この助からぬものが助からぬままに助かってゆくことこそが真実のアミダの命の課題であり、全ての人が救われる道であったのである。
なんまんだぶつ
なんまんだ

有難いの一番初め

いつもこれで当たり前と思っていたら
どんなことにも感動しなくなってきた
そして心まで無機質になって来て
何も有難くなってきた

夏になれば暑いだけ、冬になれば寒いだけ
夏の暑さと冬の寒さのさの一文字が抜けてしまったよ
この「さ」の中に今までの春夏秋冬の人間が
過ごしてきた感動の全てが入ってる

暑いですね、さむいでするとの受け答え。
その中で夏の良さや冬の雪の美しさ
そんなふかい感情が入ってる

 有難いとはこの身に過分なことと思うこと
第一にこの世に人間として生まれてきたことさえ仏の教えに会わねば無機質で
非合理で当たり前田クラッカーになちまう

まずここに人として生まれて来たことは
自分の知らぬ無明の悲しみを腹固め

それができるのはあみだ様にすくわれて
はじめてこの身にとって過分なことと思われる
これが有難いの初め哉

 ここから本当の人生が始まって
人間としての人生が初めて人らしくなってくる
人生がホントに感受性やその人の
能力全館の機能がフル回転になってくる

 そして自ずと人生が真に豊かになってくる
そして自分の生と死もみんなひっくるめて
有難いのナンマンダブツになってくる

ナンマンダブツの一人一人の
精神主義の確立だ

なんまんだぶつ
なんまんだ

独立しながら連帯する

 法蔵が世自在王仏にまず呼びかけるところからすべての本願が始まる。
 世自在王仏はすでに救われた仏である。しかし、その仏の優れた世界観をさらに追及してゆくところに新たなる法蔵菩薩の願いの本質が生まれてくるのである。
 世自在王仏への呼びかけに今まさに法蔵菩薩が新たなる真実の深さを持って答えんとしているのである。すでに外に仏在り。さらにそれを超えた内なる仏になる。
 超えるためには世自在王仏の願いの本質をさらに深められた世界観を知ることだ。
 それが新たなる仏願の、人間の根本の課題に応えることになる。藍は藍より青しである。世自在王仏からの独立宣言である。それは、私たち一人一人の新たなる真の仏になる、人になることが真の仏の継承にになる最終形なのである。

なんまんだぶつ
なんまんだ

心の捨て場所

 人生いたるところに青山あり
仏陀がブッダになるまでには長い時間がかかったそうだ
 その間幾多の命あるものに生まれ変わりながらも道を求め、ついにブッダとなられたという。ブッダが骨をうずめたところは数知れないという。私たちの足元もそうだ。
 ブッダがブッダならアミダ様も同じ事だ。
それなら生あるものはみなあみだ仏陀の大地から生まれて来たものばかりだ
 そこから生まれたものを我々は今食べているのだ。
 あみだ仏陀の骨の上を今歩いているのだ。我らの骨も地も肉もみんなアミダブッダで出来ている。そんな大地にどんな愚かな命を今捨てるなら、帰るなら、そんなに泣くこともないのだろう。ナンマンダブツもアミダブッダの地と泪
  
 なんまんだぶつ
 なんまんだ 

おいしい記憶

 
 愛する人と最後に食べたものを覚えていますか
 忘れていても、アッこれはおいしい思った時にそれがそうかもしれません

逆に嫌いな時も同じなのかもしれませんし、何かの機会に好きになるときもあります

 好きなものにはその人が愛し愛された
記憶があったのかもしれません

 記憶がなくてなったとしても体の  
記憶に入っているのかもしれません

 だから好きなものを食べましょう。
愛し愛されたことを忘れないために

 念仏が好きな人もきっとあみだ様と一緒に
おいしいものとしての記憶がどこかに
残っていたのかもしれません

 花の匂いか、線香の匂いか、はたまた仏法の香りか、ナンマンダの香りかしれません

なんまんだぶつ
なんまんだ
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