本来が輝くとき

 18願には人間の根本的な判断をする理性の彷徨と根本意識を変える助かる本能と助からぬ煩悩がある。この本能を取ってしまう、あるいは消滅させてしまえば完全な佛意識しか人間には残らないが、これはきっと清浄意識と深い関係があり、これは仏に許された用きで、それ自体に罪はないというのだからであろう。
 だから煩悩意識の根本にアミダ意識または清浄意欲が理性自我意識の底へ入り込み、本来の根底的存在の意識水準として入れ替わった途端に真実世界への歩みが本能もろとも煩悩の彷徨も浄土へと歩み始めるのであろう。
 法蔵自体の願意識の中にもこの点を十分考慮した考えがあっての救済であろうと思います。

なんまんだぶつ
なんまんだ

name
email
url
comment

NEW ENTRIES
浄土意識の時空の中に今います。(07.23)
ブッダと私は同じ人間じゃけんど。(07.16)
前世の記憶を思い出しました。(07.14)
私の命になった願い達。(07.10)
中州に遊ぶ。(07.07)
ライオンとウサギ。(07.06)
この橋渡るべからず。(07.05)
六代目圓生。(07.03)
南無阿弥陀仏は人間の魂の実在を示す言葉。(07.02)
死は我が人生の完成。(07.02)
RECENT COMMENTS
ARCHIVES
RSS
RSS