環境依存

台風も、青空もおなじ空模様。人間の力で地球環境や宇宙環境を変える力があるように錯覚するのは傲慢に近い考えではないのかと思うのです。科学文明のつけというわけではないが、自然の中に生きていると気づく生活にもとづく人間の自然な感情をまず育てることの方が大切だと思うのです。そうでないと、こっちが天国と地獄に分けて受け取るだけの生活や人間が育ってゆくだけだと思うのです。宇宙や地球の天気にとっては単なる自己実現を目指している一環にしかすぎないのだから、自然にもっと謙虚さと尊敬のまなざしを向けないといけないと思うのです。
ナンマンダブツ
ナンマンダ

獲信者と古漬け大根 

 獲信者はかわいそう、まるで暗い倉庫の片隅で
古い木の桶の中に長年漬けられた古漬だ
暗い、くさい、触りたくないような手触りで
時には白いカビまで浮いている。
 こわごわ触ってみれば、くにゃくにゃしていて
掴みどころがありません
 ところが皆さん、聞いて下さい、古漬けは
たった一度食べてみなんせ、一度だけ
見てくれと違って一度食べたら
とまらない、あーあ、やめられない
 食前食中食後にも、癖になって
止まりませんぜ、古漬けは
それほど味がいいものなのに
 世間様は見てくれだけで、つまはじき
それでもわかってくださるお人がいてさ
興味津々食べにくる、一口食べて
 あー美味い、これこそ私が探し求めていた味だ、なんて
 おべんちゃらでもありがたいよな、うれしいような
これがナンマンダブツでおめでたい
 それでいいのだ、これでいいのだ
昔から、信心歓喜なんて人には見えない聞こえない
煩悩の雲霧に見え隠れする輝く星のよう
 自内証の御救いだ、これでいいのだ
ナンマンダ
ナンマンダブツのナンマンダ

言の葉の母

 
 あなたが話している言葉は誰からもらったんですか。親から、本から、学校で、世の中から。
 いろいろあるけど、言葉そのものの本質にある心を考えたことがありますか。どんな言葉でもいいんですが。その言葉の意味をずっと探っていったら、言葉の成り立ちにある人間の心にたどり着くのだと思うのです。
 そこまで言って、もう少し行くと、そこには言葉を生み出す言葉の母親がいると思うのです。
 その母親に会えば、どうして言葉を生み出したのか、生み続けているのかを聞くことができると思います。
 その言葉は「みんな愛情と勇気と希望を持って生きてゆくため」ときっと答えてくれるとおもうのです。そうでなきゃあ、言葉を紡ぎ、語らう意味がないと思うのです。もちろん暴言や凶暴な言葉の裏側にある悲しい記憶を癒すためにも、思い出して元に戻るためにも。 
ナンマンダブツ
ナンマンダ

人間道

 ブッダの出世本懐は弥陀の本願を説いて一切の衆生を救う事だった。阿難に限らずこの世に生まれた本当の意義である一人一人の出世本懐とは、いかに生きるかではなく、なぜ生きるのか、何を最大最終目標としていきるのかという問いを含んでいる。
 この問いに答えることができる人生でなければならぬ前提を持って人間は生まれて来たのだと思います。
 その意味で、ブッダの理解と私との理解は最終的に同質のものであり、進む道は涅槃道一つなのだと思います。人間として生きる意義と喜びが得られる道こそ、生死いずべき最大の深さであり、それに自らが答えるべき道がすでに私の前に人間道としていま見えているのであります。

ナンマンダブツ
ナンマンダ

まだ証明は出来ないけれど

ブッダの出世本懐は弥陀の本願を説いて一切の衆生を救う事だった。阿難に限らずこの世に生まれた本当の意義である一人一人の出世本懐とは、いかに生きるかではなく、なぜ生きるのか、何を最大最終目標としていきるのかという問いを含んでいる。
 この問いに答えることができる人生でなければならぬ前提を持って人間は生まれて来たのだと思います。
 その意味で、ブッダの理解と私との理解は最終的に同質のものであり、進む道は涅槃道一つなのだと思います。人間として生きる意義と喜びが得られる道こそ、生死いずべき最大の深さであり、それに自らが答えるべき道がすでに私の前に人間道としていま見えているのであります。
ナンマンダブツ
ナンマンダ

良薬口に苦し

念仏とは、今まで一度も味わったこともない、経験したこともないものだから、匂いを嗅いでも初めてだし、本能を擽るものでもない。
 見た目も何となく怪しいし、触った感じも、いかにも軽々しいし、しかも、バーゲンセールで売って入そうな感じが否めないから、こんなものでと、つい手が出ないで後回し、こわごわと一度手に持って見ても、何が出るのかわからないから震える手からおっことす。だから持ち路に、食品コーナーにあったとしても見ない、知らない、感じないの、三無い尽くしのナンマンダ。
 やがて、死に神が身近に迫って余命一日となりました。ギバに無理やり進められ、いやいや飲めば、すぐに聞く効くナンマンダ。良薬口に苦し、とはこのことか。これなら毛嫌いせずに早く飲めばよかったと、飲んだ途端にナンマンダ。間に合ったのか間に合わなかったのか、アミダさんだけが知るナンマンダ。ナンマンダブツのナンマンダ。

―自力の執心断ち難し― 

 私は自分の体力を信じて生きて来た
それなりの能力や経験で生きて来た
その生活の中から有用な所を生かして生きて来た
これらの能力全てを出し切って仏様をこの範囲の中で
信じようとしている私がいるが仏様はそれ以上の全てを救う能力を持っているので私のようなちっぽけな血から能力では間に合わないのに、相和思わない所にその違いが出てくる。
 それが内に破られたとき、包まれたときにそれらには救われず、その世界を持ったままで生きて行けるという御赦しがあって自力の執心を持ったままの自力意識が立たなくても信じて生きて行くことが出来るのようになりました
ナンマンダブツ
ナンマンダ

信心は生ものだ

地獄にあって地獄に落ち続けている私。地獄に落ちていることを知らせてもらっているから、そのままの救いがよくわかる。地獄も極楽も、わたしにとってはいつも一緒の現在進行形が身にしみて感じるホントの実感だ。

 念仏もあみだ仏が今、私に称えてくださっている進行形だ。跡形もなく、あっという間に素通りだ。そして、すぐにまたナンマンダがやってくる。現在進行形の念仏だ。ナンマンダブツの念仏だ。

 諸仏もみんな、今の今の説教の活動中だ進行形だ。私たちの信心もいつも現在に信じ続けているという進行中という初事だ。地獄も極楽も信心も往生も念仏も、これがホントに生きている、私にはたらいている信心だ。フレッシュナンマンダブツダだ。
ナンマンダブツのナンマンダ。

人生は苦なの?

人生は苦である。人間は苦の存在である。たまに気休めの楽があるから人間はその間で行ったり来たりするので、人生は楽もあると思って錯覚しているだけだ。実際は、真の現実はみんな一緒に手を取り合って、一斉に生まれた時から地獄に落ちている真っ最中なのだ。平行移動でみんな煩悩の闇に真っ逆さまに落ちているので、自分も落ちていないと思っているだけだ。だから親鸞はこの身の現実を仏の目に照らされて知ったから「地獄一定住処ぞかし」と現実のありのままの、如実知見の真実をそのまま述べただけなのだ。苦しい時もあるが楽しい時もあるなどと、呑気に自我意識的な心境を吐露したのではないのだ。人生は苦であると見抜いた仏様に出会って知ったから、そのありのままのすがたを受け止めただけなのだ。

―人生―

 真実に近づくほど真実から遠ざかる
 真実の愛に近づくほど遠ざかる
 そして、また、近づくほどに遠ざかる
 人間に真実は遠い道、真実からは近い道
 その繰り返しで今まで迷って生きて来たので
 真実との距離感が分かって来たので
 自然に心に猶予余裕が出来て来た

この余裕が迷いを乗り越えなければ人に真実の信など
獲られるものじゃない
いつまでも論理と理論で武装して逡巡しているがいい
自分で自分を許し続けてさらなる深みにはまってく
疑城胎宮でもいいのならそれでもそれは浄土の中で安心だ
そこまでセフティーネットを張ってもらっていながら
そんな中途半端に甘えないで
身も心も全部捨てなくちゃ身も心も棄てて
おられるあみだ様には会うやしない
あみだ様は最初から丸裸何もすべてを
さらけ出し素肌であなたと会いたいと心の
隅までさらけ出しているのにこちらは
正装燕尾服礼装ですまし顔ではあみだ様は困り果て
ナンマンダブツ
ナンマンダ