私の遺産みんな持っていけ。

みんな娑婆に置いてゆく。

あっちへ持ってゆくもの何もない。

家族、財産、趣味道楽、名誉地位、毀誉褒貶も置いてゆく。

 ゼロから生まれ様々なご縁で今の俺ができたと知ったとて、そこに帰ってゆくばかりだが、なんと未練がましいことだろう。

 未練がましい生き方しかできないけれど、今度ばかりは仏様にさせて頂く大般涅槃。

 ナンマンダブツの大往生。

 今に成仏知らせてもらうご本願ばかりが、きっと、あの世まで持って行ける輪廻転生きっぱり断り、我輩が今度は仏になる。

 そんな確信こそがいま生きているあの世まで持って行ける最後の最後まで残る貰い物の宝物。

 人に見せたことはないけれど、言葉でいえばなんまんだぶつがその証拠。

なんまんだぶつなんまんだ

あなたの三つの命は今一生懸命輝いている。

 
 あなたの本当の名前は何ですかと問われれば、親からつけてもらった名前や仕事でつけた名前を答える。

 あなたの本当の命の名前は何ですかと問われたら私は何と答えたらいいのでしょう。

 「命に名前なんてあるんですか。それはどんな命なんですか」。肉体の命という心蔵は知っているけれど、心の命はどこにあるのか、何時もあるようで一体どこにあるのか自分で尋ねたこともないのが私たちの本音でしょう。

 精神的な自我意識や思いやりとか、良心とかというけれど、目の前で見たことは一度もないのが普通です。宗教では霊魂や業魂とか宗教心という心らしいけど、それも出会ったことも聞いたこともないのが普通です。

 ましてや真宗でいう仏より賜った信心という、信じるに心と書くからやはり仏の心となるが、しかしそれにも形がないし出会ったことなど一度もないのが普通です。

 そんなこんなで困ってしまうのですが、仮にアミダの命が永遠普遍の命という名前なら、それに気が付かないうちは限られた私の肉体と優しい命で満足するしかないのでしょう。

 だけど、限られたと言う事がしっかり分かるのは、やはり、限られない命に出会ってからのセリフなのだとするならば、そんなアミダの命を願う者になることが、やがて、心と体にある命も私の命なのですが、私の本当の命の名前はあみだでした、と言える時が来たらその命を祝う事が、ひょっとして命ある時にそれを讃嘆供養することが出来たなら、この三つの甘美な命を持っていることが不思議な事だが祝うことが出来る人間になってよかったと言える事に有難い思いをするようになると思うのです。
 
 そして、そこから見えてくる世界が今までのように薄い靄がかかったものではなく真実の世界の姿がありのままに見えてくるのではないのかと思うのです。

 なんまんだ

あの時死んでいたらよかったのにな。

 アミダ様はなぜ私達全員に悪人意識絶対一生を忘れるなという「唯除」の但し書きを残し、しかも残存煩悩を許すような残酷なことを根本的な救済としたのだろうかと考えた。

 我々ら煩悩が燃え尽きるまで、憎しみや偏った愛情の炎が燃えている中でお念仏と信心の堅固さを自ら得心し、本願の心を喧伝せよと言わんばかりではなかろうか。

 電光朝露の一生と五劫の修行は比べようもないが有難いながらも辛い願いではなかろうか。

 救われながら文句を言う筋合いはどこにもないが、あの時スッキリ、きっぱりとまるごとお浄土へ来迎させてもらったってよかったものを。

 お釈迦様が縁起の道理を覚った時に、この真理の道理は理解しがたいからこのまま涅槃に入ろうと思っていたところ、梵天勧請によって巷間に流布することになりました。それで真実の教えが私にまで届いています。

 ブッタは大きな人間であっても、小さな人間にも出来ることがあるとすれば困難な人生の中で弱い人間はそれなりにそれなりのことが出来れば、やがて「唯除」の籠から解放されるときがやがて来るのだろうと信じています。なんまんだ。

昨日の敵こそ真の友になる。

 自分自身の宗教心に目覚め主体と共に人格も変容してくれば、それまでの相手を否定することもなく、非難することもなくなってゆく。

 これは私が出来た変化は私が全責任を持って自らの運命に委ねたのだから、当然その責任も私のものとなる。

 それまでの目的は敵対する相手にあったが、それを容認し自らと同じ救いの世界に至ってほしいと願うように自らが精神的な高揚を遂げた時には、否定が肯定に変容して、ここまで私自身を純粋な世界にまで引き上げてくれた存在として観察し、尊敬の念さえ内心から自然に醸し出されてくるものなのだろう。

 即ち、慈悲と智慧の世界に煩悩のまま包まれていたとしても、そのような寛容な世界を共に歩む者として必ずいつかは理解できるようになるのである。

 そうなれば、いかに憎む相手であっても、いずれの世界においてか仏として会いまみえることが出来るのではないのかとさえ夢想できるようになってくるのではあるまいか。

 同じ仏の命である子として、同じ尊い宗教心を頂くものとして。
 なんまんだ 

インドの夕日は美しい。

 
 死とは私以外の人のことで相手にその指を向けていたが仏教の教えを聞くようになってから私の死のことだと指を向ける方向が自分に向かってきた。

 相手に対して向けていた人差し指以外の残りの指はいつも私の方を向いていたことに気が付いていなかっただけなのです。

 江戸時代の太田蜀山人か死ぬ間際に「今までは人のことだと思うだに、俺が死ぬとは、こいつはたまらん」とか、親鸞の思想に帰依した一休さんは正月に京の都中を竿の先に髑髏をつけて「門松は冥土の旅の一里塚 めでたくもあり めでたくもなし」と無常を叫んでいた。死ぬ時にも「自分が死ぬとは、こりゃ驚いた」と伝えられています。

 お二人とも普段から死を驚いておられたようですが、覚ってもなお迷い続けていくしかない人間であっても、なお人間として正しく自分自身と世界を正しく見る目と耳を持っておられた。そして生を諦め、死も諦めた境地に立っておられたからこそ純粋に自分の死に驚きが立ったのだと思います。

 これは、死を第三者のものとしてみている私たちに「死からの問いに応えられる信念を持って生きて下さい」という真実からの警告の言葉として受け止めるべきなのでしょう。

 死に神が実は生きるために大事な生き神様だったと言えるようになれという事だとも思うのです。

 「死の帰するところ生の依るところなり」。死が私たちにとって生きることの意味を根本から教えてくれる正しい物差しだという金子大栄氏の言葉の通りなのだと思います。

 お釈迦様が「すべてのものは過ぎ去る」と言ってはいたが、実はその底には最晩年の言葉に「この世界は美しいし、人間の命は甘美なものだ」という言葉があるように、否定的な人生の無常観だけだと思っていたが、肯定的な人生観に立って一歩前に生きるという悟りの境地があったからではないかと思うのです。

 生きている時は死を懐に抱え、常に死に驚きながら人生を見直して生きて行けるようになれれば、きっといつかはお釈迦様のように盛岡から見る夕日も美しいが、お釈迦様が見られた2500年前のインドの夕日も同じように綺麗だったんだろうなと言える日がきっといつか来るのだと思います。

 なんまんだぶつ

二人の泪

 無限はその働きやその存在や性質を証明するために有限の力を借りたに違いない。

 有限をここまで子供のように育てたのはそのためだ。

 無限がその力を証明するために自己否定ともいうべき自己肯定をしたので、その嘆きが有限存在には理解しがたくなっている。

 かれあればこれありという関係が、ここにもあるとするならば、お互いの存在証明として、無限の呼びかけに応えることによってしかこの相互関係が成立することはないのだろう。

 無限の泪こそが二つの世界を繋ぐものであり無限が有限を排除しているように見える18願文「唯除」の嘆きは凡夫とアミダの泪で開かれてゆくものなのだろう。

 なんまんだ

私の中の二つの命がありまして。

 
 仏道修行とか日常の苦悩を乗り越えてから悟りや信心を獲る人が多いようだ。

「オレはこの世で充分幸せだなぁ~」と平和そうに生きている者がなぜそうなろうとしないのか、そうならないのか。

 きっと俺のように、この世にある幸せを本物と思っているからだな。この世は美しいし、私の命はどこまでも甘美なものだと思っているからな。

 裏に如何に醜い心を持ってそれを伏せてだ。この私というまがい物を一時的なものとしてだ。

 それは苦悩や修行を乗り越えた時に見えてくる景色は一見ブッダと同じようにみえるかもしれないが、言葉は同じでも中身は全く真逆なものなのだ。

 ブッダは無常の陰に有常世界のゼロ浄土のような世界を満たし、我らに見える甘美なる命や美しい世界の裏には地獄絵図がきっと控えているのが真実の世界なのだからと知っていて、それでも、その根本に実在しているゼロ浄土の表現だとして、それさえも包んでブッダは世界の美しさと、我が宗教心の甘美な命、無我の自覚の世界から見える真実の実在を言ったんだ。

 なんまんだぶつなんまんだ

丸っと一つなんだがな。

  生死一如とは生と死が一つという事らしい。生の中に死があり、死の中に生がある。のではなく一如の中に人間の生死の迷いがあり、生死即涅槃と言って涅槃を体験したものは、完全に煩悩の火が消えさったものという意味をもち、宗教的な確信を得た時に全ての人が一瞬の刹那に体得した世界である。

それを知っているからこそ、ましてや涅槃を知らなければその真実一如の涅槃界という言葉も人間の口からは決して出てこないのであるから、その世界を認識したものは自らの生死に伴う迷いの一切を知って、それを一如の世界に還元してゆくことが出来ると言う意味なのだろうと思うのです。

還元という言葉は表現としては大いに違うのかもしれないが、自ら認識した二つの悟りと迷いの世界の根本にある不適切なはたらきをする無明の闇から脱出した時に現れてくる真実の世界に身をゆだねて行くことが完全に出来るようなときに我らにも一如なる世界が念仏として言語化された真如の世界に対して相反しているような世界が実はその底に通底する一如との出会いでお互いが成立するためには相互に欠かせない成立関係があるのだという。つまりは「即」という繋がりでもって知らせてもらう事が少しは理解できてくるのではないかと思うのです。

 ひと言で「生死即一如」「証知生死即涅槃」をいうと「おいらは地獄かかえて、ここは極楽なんまんだ」という事だと思うのです。

仲良くしようや。

極楽往生は真実一如の縁起空の世界を認識し、その世界に目覚め帰ってゆくと言う事なのでしょう。

それでは念仏とか信心とは一体何でしょうか。それは真実縁起空の世界への扉であり誘いなのでしょう。

その内に生きていながら分別苦に一生悩まねば生きていけない人間の業ともいえます。

それ無くしては生きてはいけないと言う無分別との共存があればよいのでしょうが、ともすれば分別心の方が我々は理解しやすく、人間の意識の認識に叶う味方なので、そちらを大切にしてしまうのですが、そうではなく否定的な肯定存在としながらも両立してこそ真実に生きて行けると言うのが本来の人間の生き方として先人が仏の智慧を持って生きてきた真実への精神的な歴史があったからなのではないかと思うのです。

その徹に従って生きてみれば真実のはたらきの自然さが我々には本来必要だし、道理にかなった生き方に本来なっていると思うからなのです。

なんまんだ

アミダを喰らうもの

 アミダを食らう者

 キリスト教会ではキリストの血という葡萄酒を飲み、肉体のパンを食べるそうだ。

 宗教の「宗」の解字では屋根の下で神に生贄を捧げ、その血が滴っている姿がその成り立ちのようだ。

 浄土教のアミダ様をその例に譬えると、あみだ様が我々を救うために修行していた厳しい法蔵菩薩の時代に流した血の泪であり、その体は本願となって我らを救うアミダ様の身体なのではないのか。

 念仏をするという行為はそれ自体あみだ様の身体本願をわが身に食し、その口が血塗られていると言う事になりはしないのかと思うのです。

 法蔵菩薩のご苦労を思えば、たかが念仏一声称える念仏の声の中にも悲しくも申し訳ない忝いと言う思いが、当然そこに沁み出てくるのではないのではないのかと思うのです。

 それによってこそ、我らもやがてあみだになることが出来るのでしょうし、古代人がマンモスの肉を食べれば英雄のごとき様相を呈したのではないのか。

 現代であれば大きな牛の肉を食べると元気が出るとか、大谷選手のグッズを手に入れて元気になるなら、握手したならもっと元気になるかもしれないし、古代の戦争で勇猛な敵の心臓や肉を食べれば勇猛な敵の特別な力を得る言う話もあるように、信心を獲ると言う事はアミダから救済と同時に特別な智慧と慈悲という力を我らが与えられていくと言う事になるのである。

 つまり、アミダとは我らが食う命の全てに籠っているのではないのか。

 我が命をむさぼってアミダの命になってすべての人を救う手伝いをしてくれまいか。という願いが籠った食べ物である。

 我らは美味いか高いか安いかで食うが、アミダの血と肉体を食うのだとなれば、そこには念仏一つにもアミダの力強い悲しみと痛みが籠った念仏となって我らの口から出る念仏一つ一つにも籠っているのであると私は思っている。

 それでもその命がけの御恩を忘れ果てて生きている私がここにいるのである。
 毎日、血を滴らせながら、口に真っ赤な血をこびり付け、我らはアミダを食らう者となったのである。

 念仏するものに祝福あれ。

 なんまんだ
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