縁生存在。

 人間は自由気儘に生きることが出来ると思っているが、例えば車の一部分のようにタイヤやエンジンやシャフトの構造によって車が一つの名前で呼ばれているように人間社会の一部分の構造存在として生きている。

 さらに言えば、人間の心の構造のいまだ知られざる、意識化されていない無意識という無明や阿頼耶識といった唯識思想で知られる心の構造の相互関係によってできている。

 さらに言えば、末那識という絶えざる自我意識、阿頼耶識などの総合的な構造の働きに作用されて一人一人がそれらの盲目的な意識に導かれている組織的な大いなる意識の川の流れに流されながら現在の生が存在しているのである。

 そういう総合的な一つの意識の魂に帰ってはまた再生されるものとして今それぞれがあるのである。
 なんまんだ。

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