カラスの独り言

もう胸がいっぱいなんだから。

 アミダさんはみんなを愛し信じて救ってる。
 だけどそれはよくないな。

 私一人だけを愛し信じてくれないと私の自尊心が
 崩れてしまうから。

 だけどほんとに愛し信じられてみると
 もうだれかと比較しなくてもいい愛情だから
 ちっともそんなことを感じなくてもいいようになってくる。

 たった一人の母親とたった一人の子供のように
 私だけを愛し信じてくれていたことを
 もう十分なほどに感じ させてもらっているからな。

 むしろ、もう自分はいいから、
 ほかの誰かさんにその愛情を分けてあげてよ
 と言いたくなるほどなんだ。

 毎日毎日が有難うの気持ちでいっぱいなんだから。

 なんまんだ

いつもときどき。

 輝いている人がいる、外側いつも時々。
内側が輝いているように見える人がいる、いつも時々。

 内と外が変わらず耀いて見える人は仏様そのものしかいないんだなろうなぁ。

 それと、仏様に出会った人でも晴れ時々曇りになるからいつもというわけにはいかないが、本人も気が付かない心の底ではいつも輝いていることを知らないだけなんだろうな。

 それはいつも変わらず耀き続けている仏様にしかわからないものなんだろうな。

 仏様はそんなみんなの心の底からの輝きを信じておられるからいまも命を懸け続けているんだろうな。

 なんまんだ

凛として。

私とあなたの間には空気という空間がある。そこには苦しみや悲しみや人間の喜びや痛みはない。空気は地球と宇宙を隔て繋いでいる。
 私とほかの個体の中にだけ怨みの海が果てしなく続いているだけだ。時として、その海全体が憎しみの炎に包まれる時もある。

 それも私という小さな宇宙の中での出来事だ。

 友や夫婦や人類で平和や争いの心を共有することが出来ても大きな宇宙から見れば小さな出来事にすぎないかもしれないが。

 そんな小さな宇宙がそれより大きな永遠の宇宙という悩みも苦しみも楽しみもない完全で絶対的な宇宙の絶対愛という本質との指導原理に基づいている宇宙に比べれば、小さな事だと言ったけど、二つは関連関係している一つの命として存在しているのだろう。
 この二つの言葉にしないと見えてこない関係存在の狭間の中で私は生きて来た。この小さな宇宙が崩壊したら、この眼の前の無分別の大きな宇宙の中の小さな波に凛として輝くことが出来たら、おもしろいなと思っているんだが。

なんまんだ

弥陀の願船何処へ行く。

 決して沈まぬ弥陀の願船に乗っても船が浄土へ進めば四海波静かな時もあれば煩悩の濁水海の怒涛に巻き込まれる時もある。

 人生の大波小波に遭えば船の中にいても心に漣が立つ時もある。向こう岸に着くまでは悲しみ嘆きが続くものと知りつつもである。 

 彼の土に着いたら着いたで、次の人を乗せるため浄土にほんの1〜2秒もいやしないユータウン。

 往ったり還たりするこの船の名前はあみだ丸だが、諸仏の手作り、諸神の手作りナンマンダで出来ている願船だ。

 船にはどこのどなたが乗ってもいいけれど乗ったら乗ったで、次の人を助ける本願力になって手助けする仕事が待っている。

 作り手の苦労がしのばれ大苦海に浮かぶる大船だから一度に大勢の人を乗せて渡すことが出来るサービス満点の船旅だ。

 今日も行く行くナンマンダブツの汽笛を鳴らし、今日は日本かアメリカか。ヨーロッパインドの仏跡聖地ナンマンダブツの船が白い煙をあげて走ってる。

なんまんだぶつなんまんだ

1つで二つだったんだな。

もともと一つのものだったのに

正反対の世界は一つにつながって

いたなんて知らなかった

もうここでいいんだな

もうどこへも行かなくても

ここでこのままなんまんだぶつと

言っているだけでよかったんだな

そんな100%満足できる世界に

生きることが出来たんだからな

それを知らなかっただけなんだからな

なんまんだ

この俺にも腹の底から滾るものがあるだな。

 
最近は、お母さんも、お父さんも、お前もあなたもなくなった。

主語がなくなってゆく生活になってきた。

「お~い」も他人が聞いたら誰を呼んでいるのかわからない。

外ゆく熊かキリギリス。

そういえばあみだ様も無量壽如来や不可思議光仏というけれど、どこをとらまえホントの正体は主語のない諸仏諸神の生命集合体のようなもの。

永遠に動きはたらき移動している一種の無我意識集合体だ。姿も形もないものを言葉や仏像で捕まえようとするけれど、尻尾も掴めぬ命そのものの塊だ。やはりここも主語がないのがホントの姿。

それでもなんまんだぶつの声にまでになってくれたおかげで、まるで夢の永久小型核融合発電所のように、どこの誰の命でも心の芯から温める。

なんまんだぶつと滾らせる。

なんまんだ 

こずえさんの宝物

『自由奔放な30年、闇を彷徨った30年、そしてこれから40年?』
3人兄弟の末っ子に生まれ可愛がられ自由奔放に育ちました。一方で人懐っこく世話好きで面倒見の良い近所の子供たちのお姉さん的な存在の私でした。
そんな私は、30歳目前にしての電撃婚!日本有数の畜産農家の跡取り息子の嫁。180度違う生活環境、古い田舎の価値観での暮らし。馴染むことはできませんでした。
拒食症に始まり適応障害、躁鬱病、解離性健忘症等。ついには統合失調症、治癒の見込みなしの精神障がい者に。

それでも農場の稼ぎ手として肉体労働、単純労働をこなして来ました。心と身体は極限状態となりながらもかろうじて命を繋いで来ました。それが私の30数年の結婚生活でした。

還暦の歳、たまたま行った接骨院の院長が私の人生を取り戻すきっかけとなりました。また、車上生活を続けていた私を、数日寝泊りさせて下さった駆け込み寺ビハーラハウスの律子さんとご住職との出会いは転機となりました。
現在私は、自分を見失い人生の迷子になっているかつての私の様な方たちに、そうした現実を作っているのは自分自身の思考と行動パターンの癖であること。その癖を書き換えることで自分らしく輝く人生を送ることが出来ること。それは訓練により身に着けることが出来ることは脳科学的にも説明されていること。私は今こうした事をお伝えするセラピストとして、人生を取り戻すサポートをしています。
私と一緒に自分の思考、行動パターンの見直し書き換えをしませんか
                 セラピスト 吉澤こずえ 

 少しでも光蓮寺が吉澤さんのお役に立てて何よりでした。なむあみだぶつ。

馬鹿になれない馬鹿な俺。

「馬鹿になれ」現代の妙好人木村秋則さんの言葉。

馬鹿になればみんなうまくいく。
という意味なんだろうが、馬鹿は何も知らないのに小さな事しか知らないくせにすべてを知っていると思いあがっているから、

神の如く全知全能の俺が地球を一人で背負って一人悩んでいると思っているから、
まるで自分自身を神様仏様と同じぐらいに深く信じていると思っているから知ったかぶっているから、

その傲慢な自己中心の思いがたった一つの無理だという事実にぶち当たってパンと風船のように破れた時に初めて自分が中には何も入っていない、空気しか入っていなかったことを知ったことを自分は身の程知らずの全否定のバカだと知ったという事だな。

人間は考える葦というけれど、馬鹿になれではなく、もともと真理に対して無知蒙昧の馬鹿なのだ。

もともと身の程知らずの馬鹿だったと言う事なんだ。

真理に対して謙虚になれと言う事なんだ。

罪悪深重の凡夫とはこの俺ことなんだ。

なんまんだ 

なんまんだぶつと木魂する。

 
 命はみんな生老病死の暴れ馬の上に乗って生きている。

 いつ暴れだすかわからない。

 今日か明日か次の瞬間か誰も分からないけど、それが来るとき
 私は知っていて知らんぷり。

 そんな馬を手なずけ、飼いならし一緒に生きて行くのは厄介
 だ。
 馬に乗りながら天上から滴る蜂蜜に舌鼓。

 その馬はきっとあみだ様。

 人馬一体のあみださま。握る手綱に血が通う。

 今までのあみだ様の過去現在未来のご苦労までが私が馬の手綱
 から伝わり私のそれも知れてくる。

 
 そんな手綱念仏をしっかり握り、この広い人生大地を自由自在
 に闊歩出来れば、カッポカッポと蹄の音が果てない大空になん
 まんだぶつと木魂する。

 なんまんだ

不安に立つ。

護法「成唯識論」の「安危共同」。

安心と不安を自らの自体として生きることとある。

「不安に立つ」は安田理深師の言葉だが、不安と共になる、安危共同にならないと生死の闇は晴れないのではないのか。

不安や死や病、老いは嫌なものだが、人生の底に何時でも問いかけられている人間の根本的な課題でもある。

それを嫌っているうちは、それらの真の意味が理解できていないのでいつでもそれらに圧迫されていること、不統一な人間になっていることになる。それらと共に、それらは我が真の友である、真実の人生の意味を教えてくれる反面教師であると思うようにならなければならないのである。

 それらを受け入れ共同出来なければ人生の側面だけの生を生きたと言わざるを得ない。

安心と不安が、危険が両立する唯一の道が、清浄無分別の真の智慧と慈悲のはたらきから生まれたお念仏に出会い救われた世界にしかないと思うのです。  

なんまんだ
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