どうしてもかっこいい自分意識。

 
 人間の普遍的な意識という合理的、知性的な自我意識の判断が正道とする自分自我意識が持続しているから、今日まで仏教の初動の総合的で純粋な縁起の道理の教えから現実のわが身、わが心の実質的な救済の実態からかけ離れていったのではないのか。

 いわゆる理性的に判断すればという人間がその自我意識を超え包んでいる仏教の道理の用を、真実のわが身の現実に正当に信受理解する時、一見矛盾する非合理的な仏教の悟りや信心世界は後からついてくるものだとして、総合的な実践体得を後回しにして、人間の理性の理想主義的な理解に出てしまった初動から持っていた課題だったと思うのです。

 そこから、聖道浄土の変わり目が継続してしまったのではないのかと思うのです。この葛藤は宗教が続く限り抜きがたいこの自分意識を解決すべき総合的な個人課題でもあると思います。

 なんまんだ

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