親鸞かく戦ぬ。

「浄土真宗に帰すれども 真実の心はありがたし 虚仮不実の我が身にて 清浄の心もさらになし」

これは八十五歳の親鸞の自我意識のすさまじさが清浄なアミダ意識を全身で包み占領している心的状態を正しく表現したものだ。

親鸞二十九歳に「雑業を捨て本願に帰す」とあみだ意識に目覚め、浄土意識の目覚めでもある本願念仏を高らかに宣言し、逆に我はアミダになる確約を得たと傲慢な自我意識の妨害を思わせるものだ。

いかな、無明煩悩の闇が晴れても、なお戦い続けなければならぬ真実の念仏者親鸞。

信心獲得しても、飯を食い妻子を養い、愚痴無知の弟子共も教化せねばならぬ。その間に本能煩悩が勢いを増すが、それらを絶対的存在と否応ながら承認しながらも、並行して浄土意識の働きも盛り上がるが、完全に勝利している救済状態を親鸞はこう語ったのである。

なんまんだ。

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