心は浄土空間さえも駆け巡る。

 心と体は別でも心は体から独立しているが離れては存在しないらしい。

 心は永遠無限を語るが、体は有限をいやでも離れない。

 それでも永遠を体得することはできるのだ。

 もしも心の中に永遠を感じるところがあれば心の中に浄土や天国が、自我意識 
 が作る地獄の底にあるに違いない。

 そこを突き抜けて落ち切ったところにあるならば、生まれた時から気づかず持 
 ち歩いていたのだろう。

 それが目覚めてなんまんだぶつという言葉になって私を目覚めなすならば、地
 獄の底から届く声となって聞こえてくるに違いない。

 その時、浄土一定の身も見えるけど、一緒に地獄一定のわが身の宇宙の果てま 
 で開かれた真実の世界も見せられる。

 なんまんだぶつなんまんだ。

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