念仏の矢が当たらない。

 
 阿弥陀如来の放った念仏の矢が、わが胸を射抜くまで如来の直言を聞き抜いてゆかねば何も聞こえてこないままここに死ぬばかり。

 ここに死ねるという事が、ここで正しい精神生活の方向の道を得たという事だる。そして、生活がここで送れる人間になれたという事になるのだ。

 人間の自力の力が尽きた時と矢がわが胸に付き刺さることはいつも同時なんだが。逃げ回れる自力の力があるうちは、いくら矢が放たれても、うまく立ち回って自分の自我意識を正当化する理屈や哲学や伝統教学までも持ち出してきて今生限りの自我意識の自己保身。

 世間の喧騒の闇の中に逃げこんで、やがて死の床までも、もっともらしい遺言まで残して、空念仏して虚しく死んでゆくばかりだな、この私。
 なんまんだぶつなんまんだ。

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