不安に立つ。

護法「成唯識論」の「安危共同」。

安心と不安を自らの自体として生きることとある。

「不安に立つ」は安田理深師の言葉だが、不安と共になる、安危共同にならないと生死の闇は晴れないのではないのか。

不安や死や病、老いは嫌なものだが、人生の底に何時でも問いかけられている人間の根本的な課題でもある。

それを嫌っているうちは、それらの真の意味が理解できていないのでいつでもそれらに圧迫されていること、不統一な人間になっていることになる。それらと共に、それらは我が真の友である、真実の人生の意味を教えてくれる反面教師であると思うようにならなければならないのである。

 それらを受け入れ共同出来なければ人生の側面だけの生を生きたと言わざるを得ない。

安心と不安が、危険が両立する唯一の道が、清浄無分別の真の智慧と慈悲のはたらきから生まれたお念仏に出会い救われた世界にしかないと思うのです。  

なんまんだ

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