煩悩は神様です

 わが身を一生患わす煩悩とよき友として仲良く出来ないで否定ばかりしていては、悟りを開いても信心いただいても意味が薄いような気がします。

 これを全面的に認めるわけじゃないけれど、それらの煩いがあったからこそのものでしょう。

 悲しみながら、笑いながら傷みながら、わが友よ!と言って共に人生歩んで行けるようになるのが全人的な人間としての正しい生き方なんだと思うのです。

 私の体でありながら、私の心の一部でありながら私の人生を狂わすような煩悩でありながら、それをひていすることは私を全部否定することに成りはしないのでしょうか。

 それらも含めて、仏に許された罪悪であり、私のこころであり、魂であり、それを支えてくれている、仏に出会う存在の現場としての肉体であり、愚かな精神があったからではないのでしょうか。

 そんな私の心や体なのですから。仏を信ずればこそ、煩悩即菩提というような私のような貧しい恥ずかしいだけの生き方も可能になってくるのだと思います。

なんまんだ

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