人生の審判

 野球やサッカーなどには審判がつきものです。ゲームがこの人の判断で成り立っています。勝敗の良し悪しが全部決まる大事な役目です。意図的に差配すればケームは意図した結果になります。私の人生にも神や地獄の閻魔様のように生きている時に審判する人がいたら人生はファールの連続で意図せずとも人生退場になっています。もう退場になったからここにいるのかもしれませんが、まだ生きているので、猶予されているのかもしれません。しかし、試合的制裁を受けていればもうだめかと言うと、阿弥陀様だけはまだ大丈夫だと言ってくれているような気がします。
 結論から言えば阿弥陀様の最終決断はこの人生でたとえ、レッドカードを貰って人間の人生を退場した者でも仏の道を歩むことによってどこにでも生かされてゆく道があると言っているような気がします。
 むしろ、カードを貰うのは意図した時でも、そうでないときでも、かならず、この人生ゲームに参加している選手は一度も貰わない人はいないのですから、失格寸前の人もいるし、そうでない人も、そうなった人でも同じ条件のもとにいるのですから厳しい審判になるのでしょう。だから人生ゲームでの勝者でも敗者でも共に救うというのが阿弥陀様の願いなのでしょう。
 特に、レッドカードをもらったものこそ救うというのが阿弥陀様の、この人生ゲームの特別な選手として特別のお慈悲を持ってご覧になっておられているのではないのでしょうか。

なんまんだぶつ
なんまんだ

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