コンタクト

 諸行無常とは人間から見た真実の永遠性だとすれば、仏の智慧と慈悲の実践である念仏、愛と智慧も同じであるが、人間はこの二つを別々のものと考えているのだと思うのです。もともと、永遠という、何時までも変わらない世界があるのだとすれば、その中に人間も有限性を持って生きてきたのであるから、永遠性からのコンタクトが人間になければ人間には永遠に永遠の世界は理解、体得、認識はされてこなかったはずであり、諸行無常という真実のはたらきも到底、理解されるはずもなかったのだと思うのです。
    しかし、いずれかの人間の精神史の中で永遠が知られ、人間に正しく認識されるようになると、そこから見たそれまで「我」が考えていた瞬間の連続にすぎないと思われていた存在や時間の中に、あるいは、つつむものとしての真の永遠性の発見があったから、そちら側、仏や神の領域から見た、こちら側の無常性というものが有常性、永遠性の世界が新たに発見され記憶されて、その真実のはたらきが伝承されて今日に至っているのだと思うのです。
    もし、永遠とコンタクトができるのなら、すでにコンタクトができる心の装置が人間に備わっていなければならない所を見ると、心の機能として自然成長に伴い、全ての人間に、今では備わっているものと考えた方がいいと思うのです。

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