永遠に得られないもの

 本当の自由とは何か、本当の安心とは何か、本当の安全とは何か、この中で一番大切なものはどれだろうか。身体的なものと、精神的なものが、これら三つにかかわっているのだろう。とすれば、これらはすべて人間が永遠に希求すべきものではあるが、絶対に今には与えられないものではないかと思うからなのです。
何故なら、それらの純粋さを求めるのであれば、そこに永遠のという言葉が付け加えられなければならないからです。
そうなれば人間の領域のものではなくなるからです。しかし、それでも不完全ながらそれらの三項目を生きることができないわけではなく、それに、近づこうとするところにその意義があるともいえるのではないかと思います。
簡単に言ってしまえば、例えば、自由という事も完全なものではないにしろ、それを完全に人間のものとすることは、永遠に生きている、はたらいている命にふれることによって誰にでもその匂いが感じられるからです。そこから、はじめれば、先ほどの三つの世界に至る道もみんなに見えてくるのではないのかと思うのです。

name
email
url
comment

NEW ENTRIES
念仏の矢が当たらない。(05.16)
長生不死の法を生きてみる。(05.15)
親鸞かく戦ぬ。(05.13)
ブッダと親鸞の常備薬。(05.12)
大谷翔平を信ずる心。(05.11)
今日の夢想庵。(05.11)
平和時代(05.10)
それが真っ逆さまに地獄に落ちている顔だ。(05.10)
闇は光の友達だ。いつも一緒で仲がいい。(05.07)
心は浄土空間さえも駆け巡る。(05.04)
RECENT COMMENTS
ARCHIVES
RSS
RSS