多分救済の構造。

 我らがブッダと同じ精神構造を持っていなければ、全ての人に救済の差異が生まれる。能力に優劣の差こそあれ、基本構造の基本に同じ発現性がなければならないし、むしろ、真理と俗諦が距離を置いているのであればどちらが近づきやすいかは一目瞭然である。ブッダの坐する姿はどこまでも人間ブッダであろうが、そこにブッダが真理の構造につつまれて悟ったのであれば真理の構造が人間ブッダを超えて、人間ブッダとして形作ったのであれば真理のはたらきの構造こそがブッダの求めるものであり、我らの求める真理の形なのだろう。

 その真理の形の構造こそが、念仏精神的の救済の構造となって我らに言語化された形で付与されているのである。

 その言葉になった救済の構造の中に存在していることを知ることが我らの救いなのである。
なんまんだ。

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