これでいいのだ。

 他の原因や自らの原因で起こったことも、大きな自然の道理の仏縁として、全てが事実として起こるべくして起こっている。

 そこに人為的に介入できたと思っていても、大きな自然の道理の構造の中での真理への道筋への行為の表現とすれば人間には自由という精神も行為も真理の運命に従っているなかでの真実の中の大事な一事実という事になる。

 すべての命はその中に生まれ、その中で終えてゆくことを知って生きてゆくことが最善の生き方になるのであろう。

 抗えない真実の構造は人間が妄想する自然への優越や勝ち取るべき人類の歴史などはもともと人間の妄念が描いた虚構に過ぎなくなる。しかも、それさえも真理の構造の中での人類の真理へ向かう一つの思考方法の一形態に過ぎないという事になるのだ。
 
人間の自由意志もその中ではすべて許され、真の自由への第一歩に変容してゆくものになってゆくのだ。
なんまんだ。

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