あみだ様と昔出会った記憶。

 人の記憶は果てしがないのだろう。阿弥陀仏が十劫の昔に成仏したという。ブッダが覚ったという。

 親鸞が生きていたという。先祖が30代続いたという。

 それらを心に思い浮かべるが如く、我らも個人の一生以前の地球誕生からの記憶を生物学的にも心の片隅に置いて、今をそれらの過去とともに生きているのだろう。

 だから、仏と出会ったことを、人間の今の限られた経験から見れば奇跡や値遇や不可思議というけれど、秘められていた過去の小さな記憶の箱を開けてみれば、それらはみな必然であり、当然の結果なのではあるまいか。とすれば、今ここで仏に救われたという事は、何度も何度も救われそこなった経験があっての今の救いとなったのだという事だ。

 そのための今までの人生だったのかもしれないな。そして今、その記憶の箱を解き放ち、それらを蒼氓たる真如一実の真理の碧空に解き放つ時が来たという事なのだろう。
なんまんだ。

name
email
url
comment

NEW ENTRIES
命の根っこ。(11.21)
夢を見る。(11.20)
(untitled)(11.20)
身。(11.19)
日々是念仏。(11.18)
ありのままの意味。(11.18)
ありのままの自分で生きる意味。(11.18)
動物と人間の違い。(11.17)
トイレと言う神殿。映画「パーフェクト・ディズ」より。(11.16)
身も心も生まれ変わらなきゃあ意味がない。(11.13)
RECENT COMMENTS
ARCHIVES
RSS
RSS