ブッダと親鸞の悟りの中身。

 親鸞の教行信証の往相回向は具体的に述べてあるが、それらは本願の欲生心という宗教心の働きを仏の教とし、行とし、信とし、証としたものだ。アミダ仏の教は宗教心の発遣、行は宗教心からの大行行為。
 
 信は阿弥陀仏からの我らに与えられたアミダの信心の目覚めであり、証はアミダの宗教心への回帰である。

 すべては如来の、宗教心の、欲生心のはたらきを人間が自身の行とみなしたところを主体の原型に戻す仕事をしたのが親鸞聖人だった。

 ブッダの修行も、この伝で言えばブッダの宗教心をアミダの往相回向によるはたらきの結果の悟りであるとするのが、これからの人間の本来の原型に帰趨する上での最善の策になってゆくのである。
なんまんだ。

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