親鸞の本意。

 親鸞は弥陀に救われたものの罪悪深重の凡夫が仏とともに生きることがブッダの中道の本位だと思ったのだ。

 仏と凡夫となったものが、切り離されたことで、一人の新生する本源の人間としての正しい智慧の見方と生き方が明確になったのだ。

 仏は極楽へ、凡夫は生きている限り地獄へと離れ離れに進むのだが、それが仏の本願念仏力の用きで、凡夫が仏に導かれ、生きる意味が違う二つが一つになって仏の真実世界に向かって如来の大道を歩むことが本来の中道の意味であると親鸞は思ったのだ。
なんまんだ。

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