私の命になった願い達。

 心と体の中心は脳ではなくて腹底にある。脳にあると思っている人はそう思っていればいい。

 腹蔵なき身の潔白を証明するなら脳を切腹すればいい。心の中心は宗教心が根本だ。

 それが深いところでつながっているならば、一人一人に全人類の過去の人々の生きた体の遺伝子レベル心と無意識レベルの歴史が詰まっているはずだ。姿かたちは違ってもきっと、私のどこかに生きていることになる。

 不思議な気もするし、おかしなことかもしれないが、46億年から地球ができて、いや宇宙ができるその前からあった命の歴史から見れば様々な命の形を記憶して、その心の働きさえも命達は覚えているに違いない。

 そしたら、様々な人々の歴史を経験してきた私が今ここに出来上がって生きていることになる。

 そして昔の人や動物、植物が見たこと聞いたこと、涙したこと喜んだこと。直近ではブッダの説教を違った形で聞いていたこともあったのかもしれないな。

 そして今また、そんな教えに遇って念仏するようになったことも、そんな命達の見えない聞こえなくなった願いが私に成就したからに違いない。そんな私をそんな諸仏という何かになった命達がいま一番喜んでいてくれているに違いない。
 なんまんだ。

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