中州に遊ぶ。

 
 ブッダの悟りは「この世はすべて縁生存在」。つまり、全ては繋がりながら消滅と生成を繰り返している存在だという事らしい。

 私の体も生まれてから、食べ物を取って肉や骨になり、それが精神活動になっているが、毎日が新しい細胞の消滅生成の中で、私が生きていることが事だと知っている。

 しかし、心は、そうは考えなくて、いつも変わらぬものが私の中にあって、少しは体が不自由になったが、まだまだ年をとっても、心は変わらないと思っていることが、変化をしていることへの逆証明になっている。

 事実を認めず忙しく生きている。しかし、やはりあらゆるものが一つとして独立した存在ではなくて、主体という自我があるものとして生きている。

 この主体も自我意識も、他の主体による連続し継続しているその時の一時のつながりに過ぎないという。

 例えば、すべては川の流れのごとくに生きているのである。一時点、一方向の表れは確実に存在するように見えるが、それさえも変わるものは変わらないという事実に基づいているのである。

 仏も人も縁生存在であるが共時することによって対象同士が繋がって見える信心確立の時もあるが、やはり一時のつながりに過ぎない。

 しかし、自我意識から解き放たれた縁生存在の自己であり、真の縁生存在の主体的存在が仏であることをその時初めて認識することができるのだろう。「中州をよりどころとして生きよ」とのブッダの真意がここにあるのだろうと思った。
なんまんだ。

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