やあ、しばらくでした。なんまんだ。

私が生まれてから仏さまがいたのではなくて、仏さまは私が生まれる前の先祖からここにいたのだと。そして、私達はずっと見られていたのだ。私が生まれてからずっと一緒にいたのだと。

 多くの人たちが一緒に生きていたことを信じることができたから、仏さまのいう事を見たり聞いたりできたのだろう。

 そんな実際の先祖達が救われてきた現実があったから有限の我らが無限の仏の存在を知ることができたのだろう。

 無限の仏を有限の理性で知ることはできないが、深い歴史的
存在だからこちらが理解されることによって、それを信じることができるようになる。こちらの考えが限界に立った時、その思案の頂上の上から信じることが向こうからやってくる自然構造になっていたのだろう。

 こちらの頭が上がらないものに出会って、初めてこちらの頭が下がった時に、この世で二つは矛盾したまま融合してきたのだろう。

 その時の双方の感動の言葉がなんまんだとなったのだ。
 なんまんだ。

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