謙虚になった人たち。

 インドの竜樹菩薩「十地にいたらず」。
 天神菩薩「満向」。
 曇鸞大師「初地に至らず」。
 道綽「初地」。善導大師「信外の軽毛」。
 源信僧「予が如き頑魯の者」。
 源空「愚痴の法然坊」。
 親鸞「愚禿釋親鸞」。 
 親鸞に至っては自らの名前に愚禿とまでつけてしまっている。

 近年では禅僧の鈴木大拙師。皆様当代きっての方々が仏の教え 
 を悟るとこうも謙虚なるのかな。
 皆様は世が世なら天下国家を論ずる人間だ。
 賢者の心は測りがたしだな。

 仏といえば自らの姿を映す鏡とたとえられている。
 
 その姿を見た時の心が忘れられなくて、救われた時の本物の自 
 身の姿を毎日毎日見続け言葉にすれば、こんな謙虚な表現にな 
 るのだな。
 そういえば宮沢賢治も「木偶の坊」と言っていた。

 なんまんだ。

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