根拠はないけど関係性からこう思う。

 念仏は宗教心の発現と自己確認。
 こちらが求めているのでなく、求めずして、向こうからこちらに求めているものに気が付くことだ。

 それが、向こうから、こちらに現れてきているのだ。いったい何をしにか。お互いに存在確認をしにか。

 一体感を求めてなのか。

 こちらは一向にそんな気がなくても、こちらがいざという時に現れてくるから、絶対に必要条件的な存在なのだろう。

 そして、それ自体が親和性を持ちながら、独立性を保ちつつ我らに根源的な影響を与え続けてきているのであるから、こちらにとっては真の主体というべきなのだろう。

 自我意識に侵されない真の自立性を持った主体になっているのだ。 

 主体が主体として独立していながら普遍性を離れないものなのだ。念仏が念仏しながら真の念仏の独立主体を個々に分散させようと常にはたらいている。

 念仏主体が自主的に自己実現しながら他の自己実現を促している。

 念仏すれば自己確認をしに私がここに現れ、私の真の主体を知り、それを喧伝する役割も与えられているのだろう。

 なんまんだ。

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