デクノボーへの道。

 「賢く、賢くなれ」という世の中で、馬鹿になれと言われても意味不明で、すぐなれぬ。仏の真実の深い愛と智慧に頭が下がって初めて本当に仏様だけに愛される馬鹿になることができるようになる。

 それまでは急場凌ぎの馬鹿で本物の馬鹿になってない。馬鹿になりたくない心は一生なくならないから、心の底から馬鹿を愛する馬鹿になることが一大事。

 本物の人間として歩む真の馬鹿になれない心を持ちながら馬鹿への道を一直線に歩む道。賢く、賢くなって幸せになる聖人道でなく、親鸞はありのままの馬鹿は馬鹿のありのままの自分を認めて生きる姿を親鸞は凡夫道と言いました。宮沢賢治はデクノボーといいました。
なんまんだ。

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