苦しみが大好きな私たち。

 人の五感からすれば、遠くから聞こえないような声で私たちを呼んでいるようなあみだの念仏でも、仏の方からすれば、いつでも私一人の耳元で呼びかけている念仏なのだ。

 今ここにある真実に目覚めよという仏からの呼び声なのだ。誰にもいまだ届いていないような念仏のように思われるが、信じた人にはすでに聞こえているのだ。

 耳をふさいでいるのは自分自身の新しい世界、真実の世界に目を開きたくない、聞きたくないという苦悩から逃れたいのに苦悩を盾に真実に出会いたくないと思っている矛盾した私の心からなのだ。

 わが身の真実をひたすら恐れている自分自身の深刻な生死の苦悩から離れさせまいとしている我が両手だけなのだ。

 しかし、その矛盾した心を知っていながら、その手をきっと放す時が来ると信じてあみだがいつまでも待っていて下さるのだ。助かりたいのに助かりたくないというその苦しい矛盾した心を持ちながらその人生がそのままでいいのなら、と。
なんまんだ。

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