動詞と助詞の使い方。

これから救われるだろう。すでに救われたからあとはどうでもいい。救われたが死ぬまでは救われていく深さがある。すでに救われつつあるが、まだ救われていない。これらは金魚掬いの話ではない。人間が真実の働きに今どうなっているのが正しく救われているのかという話だ。同じように見えてくる世界観だが助動詞一つでまったく違ってくる。生きているときは救われていく、如来はつねに救い続ける動作をやめないのだから、我らも救われ続けながら救われていくという継続的な動詞が最も正解に近い表現なのだろう。

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