石に聞く。

 龍安寺の石を見て俺はこう考える。こう見えるとすぐに私は何か言葉と答えを導き出したがる。

 考える暇もなくてすぐ自分という個性で感想を言いたがる。石の声を聴く暇もなく一方的に思いのままに語っていないことまで語りだす。

 石は石でお前はこう見える、こういうことが言いたいのだと語ってきているのにだ。

 だから黙って三年も石を見ていたら、石のほうから、もっとなんだかんだと語ってくるようになってくる。

 その声が私の耳に自然に聞こえてくるようになるまで待てないのだな。答えだけがすぐに欲しいのだな。

 私が知ったり語ったりする前に、私が生まれる前から泰然自若に私が知らぬ天然自然の真理の道理を体得し、多くのものに無言の言葉で多くを語っているのにな。

 なんまんだぶつも同じこと。名号を見ていたら向こうから多くのことを語っていることが、無言の声で語って来ていることが自然に聞こえてくるのに、すぐに答えが欲しいから解説書を読むのだな。それでわかった気になっているのだな。

 なんまんだぶつに間と言う物はいらぬもの。なんまんだぶつ即往生大涅槃の悟りの分がこの世で与えられる仕組みになっていることを今の人間も昔も未来の人も自意識過剰に育ったせいか、こんな自然で当たり前の既得の精神作用すら忘れられた世界がここまで営々と続いてきたんだな。

なんまんだ

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