自助努力。

 他人から助けられているうちは一時的に助かったとしても根本的に助けられたとは言わないのだろう。 
 たとえそれが神仏であってもだ。宮本武蔵は「仏神は尊し、神を頼まず」といった。本当に助かるとは自分自身で自分自身を助けるしかないのではないのか。

そうでないといつでも神仏や他人に依存する。本来の助かる意味とは自分と他人もともに助かる自利利他満足するものなのだろう。

自分も相手もそれによって助かるものである。それを確かめるためには最後は自身に問わねばならない。

神仏が真の自己自身であるならば自己内存在との合意が現生する。神仏も合意したことを真実の自己救済がなんまんだぶつの言葉となって証明されるのだと思います。
なんまんだ。

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