二人の泪

 無限はその働きやその存在や性質を証明するために有限の力を借りたに違いない。

 有限をここまで子供のように育てたのはそのためだ。

 無限がその力を証明するために自己否定ともいうべき自己肯定をしたので、その嘆きが有限存在には理解しがたくなっている。

 かれあればこれありという関係が、ここにもあるとするならば、お互いの存在証明として、無限の呼びかけに応えることによってしかこの相互関係が成立することはないのだろう。

 無限の泪こそが二つの世界を繋ぐものであり無限が有限を排除しているように見える18願文「唯除」の嘆きは凡夫とアミダの泪で開かれてゆくものなのだろう。

 なんまんだ

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