因果同時なら生死即涅槃。なんまんだぶつで即お浄土のはずなんだ。

 
この世は因果同時の世界。それを人間の分別心に合わせて因と果に分けている。

 種があるから花が咲くという因から果は人間の見方。花の果があって初めて種の因が見えてくる。花が咲いたから種の存在が認められる。種があったからとなるのでしょう。

 親が最初からいたのではなく、子供が生まれたから親になれたと言うのでしょう。

 親と子供は同時に生まれたと言うのでしょう。このおかげで親になれたともいえるのでしょう。生があって死があるなら、これも死も生も同時であって、生死即涅槃と表現してもいいのかと思います。

 この世はもともと因果同時の世界で出来ているのかもしれません。

 服を着るときボタンを掛ける。ボタンが手段で服を着ることが目的という。服を着ればボタンを掛けることは余計な手間なのか。手段と目的という因があって果があると言う。その通りだが、因果同時であるならば、ボタンを掛けることがすでに服を着ることと同じになってゆく。

 お寺で法話を聞くために家を出る。目的は法話を聞く事だが、家を出た時に既に法話を聞いていることになる。

 だから念仏を称えれば既に極楽に着いたことになっているはずだ。

なんまんだ

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