幸せはいつも向こうから

 
 本当の幸運なんて、一生に一度向こうから勝手に来るものじゃないかと思います。

 あみだ様の救いも、こちらから求めても結局は自力婿の原則に従って、あみだ様の方から愚かな我らに差し伸べられた御手に縋るしかないようなものだと思うのです。

 また、ギリシャの諺に「幸運の女神には前髪しかない」。自分の力で過ぎ去った幸運の神様には掴むべき後ろ髪がないとあるように、この神様のもとは時の神様カイロスだと言うので、過ぎ去った時は戻らないとも考えられる。

 しかし、永遠の時を刻む宗教心と考えれば、我々からすれば時には永遠の時もあれば一瞬の時もあるように、ともに諸行無常の姿をして現れてくるが、それを乗り越えようとして、その一瞬の時や無常の正体を知れば無常ならぬ永遠の時という有常世界を掴むことになるのだろうと思うのです。

 しかも、その時は向こうからくるとありますが、有限の我々が求める時はやはり有限の感覚でしか無限をとらえきれないのですが、無限からすれば有限の我々を捕まえることは出来るのでしょうし、それを知らされることは我々にも感知できると思うからです。

 それではその実感は永遠にないのかと言えば、そうではなくて、永遠の時を持つ宗教心に捕らわれた時の無自覚の世界でしか会えない一瞬に我々はそれを自覚できるのでしょうから。

 それが宗教的な自覚の原点であり出発点であり、そこが既に終点にもなるのだと思うのです。

 そして、ここに人生の永遠の真理の究極が詰まっているのだろうと思うのです。平凡でまじめな日常生活をしていれば無常はいますぐ誰にでも見えてくるものなのでしょう。

 それと真摯に向かい合うこと以外に本当の幸福の神様の前髪を掴むことは出来ないんじゃないかと思うのです。

なんまんだ

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