花が咲いてこそ種がある。子供が生まれて親が生まれる。

 きっと仏教は「従果向因」。

 悟りを開いたら根本の無明の闇に気が付く。救われたら仏の浄土と私の地獄が見えてくる。

 救われたら救われないわが身が見えてくる。救われたらわが身が凡夫と見えてくる。救われたら、宗教心に目覚めたら人生の四苦八苦が初めて見えてくる。悟りの眼から諸行無常が見えてくる。

 科学は「従因向果」。

 無明の闇があるからそれを破るために自力努力意識を持って修行する。知識としての無明からの努力意識による修行による仏への方向は仏からの信心の開眼が前提なので無限の限界に気が追加ない限り不可能の道になる。

 仏に成る場合は宗教心が主体になるので、神仏という果からのはたらきを信知することが正しい道になる。

 それを他力という。間違っていたらごめんなさい。この責任は私一人が引き受けます。

 私→仏・・・因から果への道。「従果向因」
 仏→私・・・果から因への道。「従因向果」

なんまんだぶつなんまんだ

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