ゼロに帰る我なれど

 この世は不思議なゼロというはたらきから出来ている。

 良いことの中に悪いことも一つになって入っている。

 ブラスとマイナスがないと、一つのものが出来ることが出来ない仕組みになっているようだ。それなら微細な世界も善悪も正反も一つになって出来ているのだろう。

 それなら私も善と悪というようなもので出来ているのだろう。

 それなら絶対ゼロのあみだ様に救われたなら、やはり、救われないままの部分が真理に対抗する罪悪深重の身を持って救われないままに、この身が阿弥陀様のはたらき100%で救われていくことが一つになってみんな救われてゆくことになるのだろう。

 これが救われると言う原理のようなものになるのだろう。

 自己の真実を知ることが、アミダという真実のはたらきを知ることが、私の中で同時進行して元のゼロの世界に帰るこの世での、この身の準備が正定聚不退転という事にもなるのだろう。

 アミダがあればわれはあり、我があればアミダあり。という縁起の道理の関係存在がここにも成立してくるのだろう。

なんまんだ

name
email
url
comment

NEW ENTRIES
浄土意識の時空の中に今います。(07.23)
ブッダと私は同じ人間じゃけんど。(07.16)
前世の記憶を思い出しました。(07.14)
私の命になった願い達。(07.10)
中州に遊ぶ。(07.07)
ライオンとウサギ。(07.06)
この橋渡るべからず。(07.05)
六代目圓生。(07.03)
南無阿弥陀仏は人間の魂の実在を示す言葉。(07.02)
死は我が人生の完成。(07.02)
RECENT COMMENTS
ARCHIVES
RSS
RSS