信心戦争

 人間が作った一人一人の信心は人それぞれ様々に深さも経験も質も違うから軽いものだ。

 仏からもらう信心はみんなが救われるから重いものだ。

 命あるすべての生き物たちにも届き、すべての人も救われるには個々別々でなく、それぞれにあっていながら時々刻々に変化しながら同質で平等な信心でなければならいなのだ。

 だからこそ仏の信心はすべての人々が救われるようになっているし、そうでなければ仏から平等に賜る信心とは言えない。

 これが全ての命を救う正しい方法になるのだと思う。

 人間が個々別々に信じている信念はついに信心同士で差異を競うことになるから、仏との信心とは質も量も違うままになってしまうのだ。

 だから本当の信心とは、ついに、仏様から貰うものしかこの世に無いと言う事になるのだ。

なんまんだ

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