「浄土は言葉のいらない世界」曽我。これは心が通ずる世界。夫婦も最後は「あれ、どれ、それ、これ、そう」ですむ。政治家も「あーと、おー」で済むらしい。

 念仏は宗教的なダイナミックなゼロポイントの世界だから、往相還相の行き交うワームホールのように人と仏が精神宇宙を駆け巡る真実一如のはたらきを現しているから言葉を産む世界であり、言葉を奪う世界でもあると思うのです。

言葉と言う伝達手段のいらないテレパシーの世界のようなもの。そんな精神感応の世界が仏と仏、そして、それが純粋浄土世界から汚れた言葉を使わねばなにも伝わらなくなって堕落した人間の世界にまで及びだすことになったのが宗教の始まりなのだと思います。

 「人間は言葉が必要な世界」言葉を重ねれば重ねるほど理解が出来る時と出来ない時がある。その原因は一つ。

 そこに真心があるのかないのかと言う事なのだと思います。真心はみんなが持っている宗教心がその核になっているのだと思います。

 それは仏の真心のように純粋で智慧と慈悲に溢れた心から出るものだから、その言葉にも拙くても、二人を超えた誠意が感じられてくるもののではないのでしょうか。そこまで話し合えことが出来れば、人間同士の話し合いも確かなものになってゆくのだと思いました。

なんまんだぶつ

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