呼び声

 阿弥陀如来が言葉としての救いの名にまでなった。如来の働きが叫び、呼び声として私たちの耳にまで届くように、耳から入る仏様とまでなって、自我意識一杯の私にまで響き聞こえるまでなったことが聞名である。
    聞名とは如来の働きを呼び声として感受した凡夫の心の闇の中まで届くように作られている仏のはたらきである。闇夜でたよりなるのは呼び声だけである。その方向へ歩めばよいのであるから。聞こえてくる、聞いてくれと迄声にまでなって呼びかけている一声の言葉になった仏様である。
    如来回向もこちらから向こうへ回向してゆくのではなく、呼びかけて迷っていくのではなく、如来の聞いてくれと向こうからよびかけているこちらに回向されてくる言葉にまでなった仏様なのである。この回向と聞名から仏の名号が自らを出て名となって呼びかけて、呼びかけられていると知って、そこに我らが跪くところに仏智慧慈悲が全受されることを聞いた、聞こえたという聞名となるのである。
なんまんだ

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