今を生きる時という事

 仏の時間のない時間と時間のない人間が作った時間が二つある。作った時間、造られた時間。
 永遠の時間のない時間こそが本当の時間であって、分割した時間は永遠の一時を目に見える形で刻んでいるだけで、それは仮の時間なのである。
 実際の実時と言うのは法界で減りもせず増えもしない、そういう実時間の中にいるのが私たちなのだけれども、私たちの限定的な心と体の関係で長いとか短いと感じているだけなのだろう。永遠の時間と言う無限の時間の中に生まれ、その中に帰って行くというのが本当の私達の命なのではないのか。
 私にとっての本当の時間は私に与えられた限定的な命の時間と仏の永遠の命の時間がクロスするところに真実の一念の仏の命の時間が現れて私の本当の命の時間がそこに現れてくる。それを根本として生きることが今を生きるという事なのだと思うのです。

なんんまだ

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