今に与えられるもの

 機が熟したら一念が即の時だ。どうしたら得られるのかと言っているうちはどうしても得られない。
 悲しいけれど、どうしようも、こうしようもなくなり、ついに手も足も出なくならないと、向こうからお出ましにはならないのです。引っ張り出そうとか、叩き壊そうとしても出会えないようになっているのです。
 柿が熟して地面に落ちるのを下で待っているようなものです。だからと言って違う方へ行ってしまえば柿が食えなくなるのです。あちらも決して意地が悪いのではなくこちらの方の求道心が熟すのを待っていないのでしょう。
 出会えるまでのこちらの願いがまだ本物になっていないというか、まだ未熟なのでしょう。菩提心がまだ浅いのです。まだ信じる心を受け入れられない心のままなのでしょう。
 いつでも信心は与えられるのでしょうが、今ではない、今に必ず与えられるものなのでしょう。

なんまんだ

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