言葉と言語

 
言葉は言語を口頭で伝えるもの。だから、言葉には言語そのものが持って現したいものを伝えようとする時に、その人の思いを込め伝えることが出来るものでしょう。
怒りの言語は声高に。愛は柔軟な音程になって伝わってゆく。それなら阿弥陀仏の心も阿弥陀如来の真心が伝わり、その心に帰命し理解受納できた人が称えたら、それらしくアミダの如くに聞こえてくるのではなかろうか。
しかし、それとても阿弥陀如来の心が分かった人には伝わったとしても、いまだ出来ない人にはみんな平等におなじ念仏にしか聞こえないのかもしれません。
寡聞にしていわゆる私の身近にいた得心者と言われる人が称えたお念仏は、それだけで、有難そうに聞こえたし不思議を超えて怖そうな世界にいるんだろうなとさえ思えたこともありました。
なんまんだ

name
email
url
comment

NEW ENTRIES
(untitled)(11.27)
(untitled)(11.25)
呼び声(11.17)
信心(09.24)
うまくいかないね(08.03)
ブッダの言葉じゃダメなんだ(08.03)
因果魂(08.02)
時代語(07.20)
タバコとライター(07.15)
名を聞く(07.09)
RECENT COMMENTS
ARCHIVES
RSS
RSS