生かされて死んで行く

 生かされて生きる。とは、生かされながら死にながら生きているという意味が半分入っている。死と滅のマイナスを省略してはいけません。生と死はいつも兄弟はなれない。生があれば死があるように、生起と死滅は同時進行で動いている。生かされてとは正確には生かされて死なされて、滅されていくので、生きている私の存在は、生と死と言う滅を含んだ、肉体と魂と、見えるものや見えないものもみんな生滅変化しながら生の一面があり、死と言う滅の面も持っているという事なのだ。
 だから、生かされて生きるとは、死滅から生起がはじまり、生起から死滅が同時進行で起こっているという事だ。これが全ての事象で怒っている。間断なく世界中で起こっている。私の体の中でも起こっている。毎日の体の変化も、大きな変化もこの正起と死滅の繰り返しの中での出来事だ。その途中の姿でみんな今ここに生きい行かされていると言っているのに違いない。だから、生のみが吾らにあらずと清沢満之が言ったのだ。
 生死生滅を見てゆく心や目を阿弥陀仏は真人として、人間の宗教心の生きたはたらきとして慈悲と勝ち得からの物の味方、一つの自信の正しい見方が信念のある生き方として与えたのだろう。これが人間の本来持っている真実を知見が出来る仏眼、無分別智、宗教心と言われるものの働きなのである。ここに、心が座れば本当の安楽が自身に与えられ諦らかな生き方が誰にでも得られるようになるのである。

 なんまんだぶつ
 なんまんだ

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