次第相承

法蔵の本願の中に成仏の為に18願の方法と第一願の目的が因果同時に書かれてある。
 本願の順番すれば、第1願から第18願となるのだろうが、アミダが凡夫をすぐに救おうとされる本願の本意からすれば階段を上がるように本願を歩めとは言っていないのだろう。すべて因果同時に書かれてあるのである。だから本願は念仏即往生成仏である。
 しかし次第相承で書かないと理解できない故に凡夫の成仏はこの身に因あり果あり果の中にすでに因有りなのである。花は咲かねど必ず咲く花の種なのである。
 だから念仏一つで往生成仏が果として因に与えられてあるから、これほどの具体的で簡便な仏心大慈悲は無いのである。いよいよ、この大慈悲心を学ばねばならぬのである。

なんまんだぶつ
なんまんだ

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