本願は一つでいい

 曽我量深は「本願は第一願が大切だ」とどこかでおっしゃっていたような気がする。
では第十八願はどうなるのだと思ったが、第一願は地獄餓鬼畜生で貪欲瞋恚愚痴であり本願の最終目標だ。第十八願はその方法が書いてあり、19願はそこへの心の第一の道程段階で20願が最終関門で十八願が純粋救済だ。つまり、十八願に包まれて19.20願があり、その中で吾らは生前に心が救われ、やがて成仏するという事だ。すべての有情を救うという事は誰でもが言うのだろうが、世界人類が幸福になる前に個人の幸福はないという前にまず個人が幸福にならないと思った。個人の幸福の中に世界があり、世界の中に個人がいるのだから。その手段が住んでアミダさんが作った人類共通の救いとして。そして、助かってみたら幸福になってみたら、これは本物だと思ってたのに、みんなに勧めてみた阿弥陀の本願はすぐに全員救われるというわけにはいかないようだが、その手段がみんな持っているという事を知っただけで人類が幸福になれることを今確信することが出来るのだ。

なんまんだぶつ
なんまんだ

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