諸行無常のはたらきかけ

 ゆく川の流れは絶えずして。流れゆく姿を切り取ったところが川ではなく。変遷しながらも、それを不動の一点で見ている時、そこには変化しながらも川としての性質、変わらぬ冷たさ、いつもの流れ、時にはあふれ出す要素を含みながら転変し流れている動態を川としてとらえているのである。
 しかも、川は環境により時に大河になり、時に砂漠にもなってしまうものでもある。
信心も信心の確信は変わらないまま時々の宗教性の流れ、そして、感動や悲劇や幸運悲嘆などの諸環境に苛まれながらも質的錬磨がその度なされ向上してゆく性質のものである。法蔵魂の錬磨である。だから、信心は生きている限り個人の人格を向上させていく人格向上態としての性質を持つものなのであろう。そして、川の如く個人もその働きが終われば、砂漠の如く砂に埋もれてしまうのだが、時に小さな花をそこに咲かせていくこともあるのだろう。

 なんまんだぶつ
 なんまんだ

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