阿修羅の琴

 三悪道とか極楽とか地獄という多くの仏教の言葉が多くあるが、全て仏様が言った言葉だ。我々がその中にいても、それに気が付かずに人間がつくった言葉だと思って使っている。だから、これらの仏言葉に籠っている智慧とか慈悲に代表される真実の心が伴わなければ、いよいよ観念的な仏教になって行くのだと思う。    
 いわゆる宗教的な感動を持って、はじめて見えて聞こえてくる世界がある。だからと言って最初から何もするなと言うわけではない。仏語そのものが、その人を生きてはたらく世界にいずれ導くという事だ。
 このような視点を持って語られる時、そこに自らの宗教的な体験がにじみ出て来て、理論や概念を超えた純粋な真如の純粋な理論や概念の世界が自然に表れてくるのだと思う。そこではじめて、それを聞く人が、その言葉の自然のリズムに載せられた真実味と言うものが限りなく伝わって行くのだと思うのです。

なんまんだぶつ
なんまんだ

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