三途の川

 意識を失った時、三途の川の向う岸から親しくしていた人たちの招きに応じようとしたら、「まだ早い」と言われ、その時、目覚めたという話をよく聞くことがある。
 あの世とは、その人にとっての宗教心で、普段の意識が死を感じて委縮してゆくとき無意識が顕在化してくるのかもしれません。宗教なんて普段、関心がなくとも、それが「いざ鎌倉」と言う時には誰にでもあらわれてくるもので、宗教は不断にそれを意識して、そこに救いを現在化しようとするもので現在に死後の浄土を、この世の地獄と共に小脇に抱えたりするという妙好人の話のもあるぐらい。
 大仰かもしれないし、根拠もないけど、宗教心とか信心の内実とは、我と言うものに収まるものではなく、我らと言う考えに収まる性質を持つものなのではないのかと思います。三途の川は、あの世とこの世を結ぶかわならば、生きているうちに、正々堂々と懸衣翁(けんえおう)と奪衣婆(だつえば)に「よろしく頼む」と言えるぐらいに、生きている時に仏の世界の実在を確信しておいた方が、夢などに頼らなくてもいいように思います。

なんまんだぶつ
なんまんだ

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