ひとつになる

私を超え包む用きに気が付いたとき、無限の中の一個の尊い縁生存在だと気付き、さらに自我が真理にさらされ崩壊してゆく。それと同時に無明の闇が晴れ、実体的な我はもともと存在しないと気が付き、真実の用きに歓喜慚愧する。 そこに、今まで囚われていた生死を根本とする一切の対立概念が虚無であったと知らされ新たな無我の世界がここに開かれてくる。もともと、そういう空無我の世界に在ったことにおいて私がここに存在させて頂いていた不可思議存在として、空無我から有我存在として与えられていたことに、さらなる不可思議を覚えるのである。そこには、ここにはもともと、死もなく生と言うものもなく、ただ非存在としての縁生存在としての空存在に統一された、ありのままなる単一の生のみが与えられているだけなのだと自覚してゆく。
 しかし、煩悩具足の凡夫の心の深い煩悩は消えないが、救われた懺悔と歓喜を伴った真理の心が起こってくるのには違いがないのである。そういう無限と有限の空無我と有我煩悩とが軋むところの音が、吾の耳に聞こえてくるナンマンダブツであり、その音が生きた意味ある言語としての仏と我の念仏になった無限からの叫びでもあると知らされてくるのである。 

なんまんだぶつ
なんまんだ

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