唯除について

十八願文と成就文の「唯除」は阿弥陀仏が吾らの真実の姿の限界を見て「五逆誹謗正法」と凡夫が終生抜きがたい本能や煩悩に基づいているので「これは最初から除いておくね。無理しなくていいからね。知らせておくだけだからね」という究極の弥陀の慈悲と智慧の働きから出たお諭しであり、凡夫への最後の妥協点であり、今生での御赦しなのだと思う。それは、最初から凡夫が自ら取り除くことなどできない、死んでしまっては今生では仏法どころではなくなってしまうからだ。だから本願を信じていてもこれだけは除けないけれど、来世の浄土ではもういらないものだという事を知らせるための言葉が除であると思うのです。(続く)

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