哀しみ色に輝けば | カラスの独り言

哀しみ色に輝けば

悲しみと喜びは同じ無明の末那識の俺が、俺が俺のものと言うさが意識が生み出す偽物だ。だから一見、悲しみと喜びは裏表。行ったり来たりしているうちに悲しみに偏ったり、喜びに偏ったりしているように見えるだけ。
  ついつい、この悲しみや喜びに掬われて喜び悲しみのほんとの迷いを忘れがち。悲しみの極まできたとき喜びにひっくり返るときもがある。こんな迷いの、偽りの喜び悲しみから飛び出す方法は、二つを支える智慧の視点を見つけ出すことだ。その視点は見えないけれど。アミダ様の念仏一つで救うという一言に極まれる。
 ここを支えに私の喜怒哀楽の人生がひっくり返される時がある。悲しみが悲しみのままで、心の中心に仏の喜び満ち満ちる。悲しみ喜びがあるうちに行ったり、来たりするうちに支えている視点に気が付いて、二つのものは同じ重さと質のもの。揺れ動いているのはこの視点があればこそ上がったり下がったりできるもの。
 この二つの視点の真ん中に立ち止まることが出来れば、二つのものに動かされぬ念仏世界の出来上がり。仏様に何時ひっくり返されるかわからないけど、今の苦しみがあったればこそと、言える日が来る、きっとくるに違いないと信じて生き抜くしかありません。ホントの悲しみ苦しみ抜く方法は念仏と言う手段がすでに与えられて、生きているときは視点の綱渡り、それは、まさに白道の一本道に違いない。目覚めた白道は無くならないけど煩悩本能に囚われて見えなくなってしまう事もありましょう。
それでも、いったん悲しみが悲しみの色に輝きを放つまで。悲しみと慈しみの仏の光で包まれておりましょう。

なんまんだぶつ
なんまんだ

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